過重労働・過労死について
私は企業の人事の仕事をしている勤務社会保険労務士ですが、仕事柄、ニュースなどで「過重労働」や「過労死」という言葉を耳にすると、敏感に反応してしまいます。
過重労働や・過労死、というテーマで、絶対に忘れてはいけないのが、2016年に起きた某会社社員の自殺事件でしょう。
入社間もない女性の方が、1ヶ月100時間を超える残業の末、社員寮にて自殺をしてしまったという大変痛ましい事件でした。
このような事件を耳にすると、年代が違うとは言え、同じ組織で働く社会人として非常に虚しい気持ちになります。
また、人事労務管理のプロである社会保険労務士として、彼女を救うために何かしら行動はできなかったのか、と残念な気持ちになります。
もちろん、社会的にも個人的にも1ミリの接点もないので、直接何かできるようなことは何もありません。
しかし、彼女に少しでも労働法関連の知識を学ぶ機会や、仕事に対する考え方や自分自身をゆっくりと見つめなおす機会があったらな…、と考えてしまうのです。
今回は「仕事のための人生か、人生のための仕事か」という点について、つらつらと書いていこうと思います。
私にも辛い時代が…
私も20代半ばのときに、仕事に関して非常に辛い状態に陥ったことがありました。
仕事をしている最中が苦痛でたまらなく、いつもため息ばかり。
なぜ仕事が苦痛だったか思い返してみると…
・営業という仕事が自分にあっていない
・顧客に責められて辛い
・部下が自分から離れていくのを止められない
…という、今となってみれば非常にレベルの低い話ばかりですが、当時の自分にとっては一大事でした。
仕事が始まれば早く仕事が終わってくれることを考える…。
仕事が終われば次の日の仕事が始まることを恐れ、夜はウィスキーをがぶ飲みして意識を飛ばし、休みは外に出ることはなくひたすら寝る…という状態でした。
こうなると何のために仕事をしているのかわからなくなります。
結婚前でしたから、最悪の場合は、仕事を辞めて実家に戻る選択肢もありました。
それをしなかったのは、実家の家族に心配をかけたくないとか、社会人として仕事から逃げるのは恥だ、みたいなことではありません。
ただただ直面している問題に向き合うことができず、いや、向き合うことが大事であるということすらわからず、とにかくその日その日が過ぎるのを待っていただけ…と、今となっては冷静に分析できます。
仕事は人を苦しめない
最近学んだ言葉に、「貧 人を苦しめず 人 貧に苦しむ」というものがあります。
これを仕事に置き換えてみると、「仕事 人を苦しめず 人 仕事に苦しむ」となります。
私なりの解釈としては、『世の中には絶対的に辛い仕事、というのは存在せず、その仕事に取り組む人の主観・受け止め方により楽しい仕事か苦しい仕事かが決まる』というところでしょうか。
このように考えると、自分自身の中で「仕事」をどのように位置づけ、どのような気持ちで取り組むかがカギとなります。
以前の私のように、仕事が辛くなってしまっている人は、「自分の中での仕事の位置づけ」が冷静にできなくなってしまっていることが多いです。
自分の人生が仕事で埋め尽くされている感じ…。
だから、仕事がうまくいかないと自分自身はダメな人間だ・価値のない人間だと思ってしまう。
仕事から逃げることは、自分自身の全人格を否定することと感じてしまう…。
そのような方もいらっしゃるのではないでしょうか。
私という人間には様々な「役割」がある
もちろんですが、人の人生は仕事だけではありません。
自分の父親・母親にとっての子としての役目
兄・姉・弟・妹としての役目
パートナーとしての役目
自分の子にとっての親としての役目
そして、会社や地域などのコミュニティの一員としての役目、と、一人の人間の人生にはいろいろな役目があります。
仕事が辛くなったら、自分自身の内面を見つめなおし、自分の人生は様々な役目があり、それぞれの役目につながっている人たちがいて、その人たちにとって自分は貴重な存在であるということを再確認してほしいと思います。
そして、目の前の仕事から逃げ出すことは、誰かが非難するかもしれませんが、そんなことはお構いなしに本当に逃げなければいけないときもあります。
一歩身を引いて、自分を客観的に見つめる機会を持つようにし。会社員としての役目を果たしている自分を客観的に見つめてみましょう。
そして、自分の人生における自己実現の手段の一つとして仕事を位置づけるようにし、間違っても仕事に振り回される人生とならないよう、慎重に仕事と向き合っていきましょう。