「叱る」と「褒める」は同意語?
「叱る」と「褒める」というのは同意語だ。
情熱や愛情が無いと、叱っても、ただ怒られているというとらえ方をする。
- 野村克也 -
私の好きなことばの一つです。
仕事上、またはプライベートで自分が叱るとき、または、自分が叱られるときに、この言葉を思い出すようにしています。
「叱る」と「褒める」は同義語…、これはどのような意味を持つ言葉なのでしょうか。
その前に、「叱る」と「怒る」の違いについて、ここで一度触れておきたいと思います。
「叱る」と「怒る」の違い
「叱る」と「怒る」の違いは、いろいろな自己啓発本などで取り上げられており、結構一般常識化してきた感があります。
教科書的な説明をすると…
・叱る…相手の成長を考えている、感情的ではなく理論的、愛情がベース
・怒る…相手の気持ちは考えていない、単なるストレス発散、イライラ
という感じでしょうか。
ということなので、野村さんは、
「相手の成長を考えている・愛情がベースの『叱る』と『褒める』は同義語である」とおっしゃっているのではないかと。(違っていたらごめんなさい)
指導する側・指導される側が気を付けること
指導する側も指導される側も、この点を意識して、
「今は叱っている(叱られている)のか、怒っている(怒られている)のか」
を念頭に置く必要があります。
そうしないと、叱っている側は、(叱っている相手にもよりますが)段々感情的になってきてしまい、いつのまにか「怒る」状態になっていることに気づかないこともあるかもしれません。
また、叱られている側も、「怒られている」と思って聞いていると、自然と耳がシャットダウンされてしまうのではないでしょうか。
「叱られている…自分にとって有益なことを一生懸命伝えようとしてくれている」と思って話を聞くのとでは全然ちがいます。
とはいえ、人から叱られることが好きだ!という人は少ないでしょう。
叱られない方が良い?
できるだけ叱られず、穏便に過ごしたい…。
叱られると、どうも自分自身を否定されたような感じになり、嫌な気持ちになったり落ち込んでしまったりする…。
私も社会人なりたてのころは、そのように思っていた時期もありました。
しかし、そんなことを考えている方に、二つのことをお伝えしたいと思います。
一つは、「人間誰でも最初は未熟。上達し、一流になるには、先輩から指導を受け、時には叱られながら上達するのが一番の近道である」ということ。
指導されたくない、叱られたくないからと、そのような人たちから物理的に遠ざかり、自ら試行錯誤するよりは、人から指導を受け、できていないこと・足りないポイントを的確に指摘・叱っていただくのが何倍も良いのは間違いない。
そして、もう一つは「好きで叱る人はいない」ということ。
誰かを叱るにはパワーが要ります。
誰かをしっかりと叱るには、その前にいろいろ考え、悩む必要があります。
誰かを叱るには叱ったあとのこと(相手の立場、周囲の人間の感情)をしっかり考えておく必要があります。
つまり、叱ることはとても大変で、神経を使うことなのです。
指導する人だって、叱らずに済ませられればどれだけ楽か…。
そこを敢えて、相手の成長を願うがゆえにパワーをかけて叱るのです。
とある経営者の名言
私は、とある経営者に、「大人になってからも自分を叱ってくれる人を3人持ちなさい」と言われました。
子どものころは、親や祖父母・学校の先生・習い事の先生・近所のおじいちゃん…みなさんにも、自分のことをたくさん叱ってくれる存在がいたはずです。
しかし、年を重ねるごとに叱られる側から叱る側にシフトしていき、段々と自分を本気で叱ってくれる人が減っていく…。
残念ながら、今の私には仕事上で「本気で」叱ってくれる方が一人しかいません。
身近に叱ってくれる方がいることは本当にありがたいことです。
そのような方たちの期待にしっかりと応えるためにも、叱られたことを胸に刻み、同じ内容で叱られることにないように成長し、また一つ上のステージで叱ってもらえるよう、萎縮することなく努力を尽くす…ということが大切です。
さて、みなさんは今後叱られたときに、それをどのようにとらえますか?
叱られたときに(心の中で)「本当にありがとうございます!」と感謝の気持ちを持つことができるか…。
今後の皆さんの成長のスピードを決める要因の一つになると思います。